じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

自分の能力以上のパフォーマンスを着飾る人の話

ときどき自分の能力以上のパフォーマンスを着飾るタイプの人がいる。見栄なのか、プライドなのか、理由はいろいろあるのだろう。それは個人の自由なので、好きにすれば良いとは思うけれど、その行為は自分の首を絞めるだけであるということは、よく考えたほうが良いと思う。

パフォーマンスの高さを偽装する人々

中学生や高校生のころ、テスト直前に「いや、全然勉強してなかったから」と言いながら、しっかり高得点をたたき出すタイプの人がいたと思う。社会に出てからも同様のタイプの人に出くわすことがある。具体的に言うと成果に対して使った時間を少なく見せるという行為である。

多くの会社では労務管理として勤務時間の記録が義務付けられていると思う。もちろん、成果が必ずしも労働時間に比例しないタイプの職種では裁量労働制を採用されていて、時間で評価せず成果だけを見るというケースもあるだろう。しかし、裁量労働制を採用しているからといって、会社の労務管理上、勤務時間の管理をしなくても良いという思い切った判断にはならないので、結局、裁量労働制であっても勤務時間の記録はしておく、という運用になっていると思う。

特に、労働基準監督局から目をつけられているような会社では、あの手この手で勤務時間を管理しようとする。例えば、ビルのゲートの出入りのログから勤務時間を把握したり、ビルに出入りせずともリモートアクセスにより仕事ができてしまう場合は、パソコンの起動時間や停止時間のログを利用したり様々な工夫を凝らすことになる。

ところが、前述のタイプの人々はこれらのルールの穴をかいくぐってでも、自分のパフォーマンスが高いことを着飾ろうとする。 生産性の分母である時間を少なく見せることで自分がハイパフォーマンスな人間であるかのように見せようとするのである。

使った時間を過小に見せる行為は終わりの始まり

前述のようなタイプの人々が、ただの無能な人間なのであればそれは仕方ないね、がんばってね、という話で終わらせて良いと思う。彼らは、そうまでしなければ求められるレベルに達しないことを認めた上で時間に訴えているのである。もちろん、労務管理上問題があるのかもしれないが、あの手この手で防ごうとしているのに、そこを突いてまでそうしたいのだから止める必要もなかろう。好きにさせれば良い。

ただ、これらのタイプの人々は、その後に起こることに対して想像力が欠如していると言わざるを得ない。

マネージャは、成果 / 時間 で生産性をはかり、計画を立てている。「この人はこれくらいの生産性を期待して良い」というある種の物差しが、これまでの成果の積み重ねと信頼関係によって醸成されていく。もうこの時点で想像できたとは思うが、上述のようにパフォーマンスを偽装して生きている人々は、偽装されたパフォーマンスを元に次の計画に投げ込まれることになるので、嘘で嘘を塗り固めた人生を歩み始めることになり、やがては破綻する。

少し背伸びをしてワンランク上の仕事にチャレンジするという姿勢は、人を成長させる大きな原動力になることは経験上よく分かる。しかし、パフォーマンスを偽装することは誰も幸せにならないことはよく考えておいたほうが良い。

裁量労働だからどうせ勤務時間を多く申告しても、少なく申告しても残業代は変わらない。つまり、手元に入る給料は変わらない。だったら勤務時間を過小に申告してプロジェクト原価を少なくしたほうが良い。と考えている人は危険なので今すぐやめたほうが良い。その行為は自分の価値を下げ、自分自身を安売りする行為を意味することをよく考えて欲しい。そしてやがては、労務や財務に関する法に抵触するだけでなく、そのプロジェクトもいつか破綻する。

「給料は変わらないから勤務時間を過小に申告しろ」などという不届きなマネージャがいたとしたら論外なので、今すぐしかるべきところに通報したほうが良い。これはあなたの仕事を愚弄していることにほかならない。

この期に及んで「そうはいっても、顧客からもらえる金額が決まっている以上、そこにハマるようにプロジェクト原価をコントロールするしかない」と言い出そうとしているのなら、お前はもう死んでいる。顧客との信頼関係もなく、労使の関係も破綻し、身も心も滅ぼされてゆく。

嘘で嘘を塗り固めている人は、そのことに誰かが気づいていたとしても、誰からも助けを得られない。それは「好きでやっているんでしょ」とまわりは言わざるを得ないからだ。事実を事実としてしっかり受け止めた上で会話して、解決策を導いていくことが正しい姿である。人間一人ができることなどたかが知れている。相談して、解決して、もっと大きなことを成し遂げられるように力を合わせるべきである。