じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

あの頃の北海道のラジオファンにだけわかる「スパラン」から「アタヤン」そして「馬鹿力」の流れ

私がどっぷりラジオを聞いていたのは十数年前の中学生と高校生の頃だったと思う。当時は、深夜にラジオを聞きながら勉強する習慣があったので、ラジオは生活の一部だった。

大学卒業まで北海道で過ごした私のラジオを聞く習慣は、スパランこと船守さちこスーパーランキング(STVラジオ)から始まった。スパランに始まり、スパランのもう一人のパーソナリティであった福永俊介アタックヤング(STVラジオ)を聞き始め、その流れから深夜の馬鹿力(HBCラジオ)と流れ着いた。

馬鹿力にいたっては録音して何度も聞くほどのヘビーリスナーだった。今でも変わらず馬鹿力リスナーではあるものの、残念ながらリアルタイムで生放送を聞けていない。流石に、Oh!デカナイト世代ではないがUP's時代からずっとラジオを聞き続けている。

最近ではradikoを使って手軽にインターネット経由でラジオが聞けるし、録音してあとで聞くということも気軽になってきたけれど、あの頃感じていたラジオから聞こえてくる生放送のワクワク感を少し思い出しながら書いてみようと思う。

深夜ラジオへの入り口は船守さちこスーパーランキング

十数年前に、中学・高校時代を北海道で過ごした2017年現在30代の人ならピンと来る人もいるかもしれない。STVのアナウンサーであった船守さちこ氏と福永俊介氏の二人がパーソナリティを務めるJ-POPのランキングを紹介する番組「船守さちこスーパーランキング」、通称スパランで北海道の中高生から人気を博していた。

「さっちゃん、ふくちゃん、こんばんは」。視聴者からのメッセージは決まってこれだった。このフレーズも脳内に焼き付いている。これはラジオリスナーあるあるかもしれないが、いまだにリクエスト受付のためのSTVの電話番号も脳内に刻まれたままだ。「札幌011-202-7111 番(さっぽろれーいちいち、にーれーにの、なないちいちいちばん」。

まだインターネットも一部の家庭しか使っていなかったあの頃の私たちは、なんでも検索すれば情報手に入る世界とはまだ程遠かった。J-POPのランキングを紹介する番組はテレビ、ラジオ問わず多かったと思う。また、思春期真っ盛りの少年少女にとっては少しだけ背伸びした、下ネタを含む二人のトークにドキドキしたものだった。

スパランには視聴者参加型のコーナーもあった。今でも覚えているのは、「部活対抗クイズ 異種格闘」だ。なんのことはない、ただ視聴者が電話越しにクイズに参加するというものである。A中のバスケ部 VS. B中のバレー部 で電話越しにクイズに回答し、勝てば勝ち抜きとなり翌週も番組に参加するというものだった。

電話越しにラジオに参加して早押しでクイズに回答するというこのコーナーの性質上、早押しボタンの代わりに「自分の中学校名の略称を電話越しに言う」とルールがあった。例えば、XXX南中学校であれば「ナンチュウ!」と宣言し早かったほうに回答権が渡されるというわけだ。

クラスのバスケ部の女の子がこのコーナーに応募して、参加したことは今でも覚えている。なぜなら、このコーナーには、他にも独特の文化があったからだ。

早押しクイズの勝敗が決まった後は、必ず負けたほうがこう言うのがお決まりだった。

「最後に、友達の名前言ってもいいですか?」

今ではそれがどうした、というレベルのことなのかもしれないが、ラジオに友達が出演することはさることながら、その友達が自分の名前を呼ぶということに当時の中高生は歓喜したのだった。

「あっちゃん、りさちゃん、ゆみ、かおり、こうじ、りゅうた、たかし、・・・」

彼女はクイズでは負けてしまったが、私の名前も呼んでくれた。

今考えてみれば、スパランは北海道の、しかも中高生の、しかもこの時代だけの独特の文化を築いていたと思う。今では日本中、世界中のコンテンツがフラット化され、いつでも、どこでも、だれでも同じようなコンテンツを楽しむことができるという便利な世の中になったが、こんなにも局所的に独自のコンテンツが生み出され、局所的に楽しまれるという時代はやってこないのかもしれない。

「あの頃は良かった」とは決して言わないけれど、この時代の独特のローカルラジオの文化はとても興味深かったと思う。

「あざす」よりもずっと前に「アタス」という言葉を流行らせようとした福永俊介

上記スパランで船守さちこ氏と共にパーソナリティを努めていた福永俊介氏の深夜ラジオ「福永俊介アタックヤング」通称アタヤンを聞くようになっていた。アタヤンは、STVラジオの歴史ある深夜放送で、パーソナリティはSTVアナウンサーが務めることが多かったように思う。

いまでこそ「ありがとうございます」を「あざす」と言うのは、アンタッチャブル山崎氏によって一般化しているが、これ以前の1990年後半には、当時のふくちゃんこと福永俊介氏は「ありがとうございます」を「アタス」と呼ぶことをリスナーに流行させていたのが思い出される。

「アタス」という曲もラジオの中で歌っていた。河村隆一の曲をパロったような曲で、歌詞もシモネタ満載のゲスなものだった。今思えば何が面白かったのかよくわからないけれど、深夜の生放送独自の臨場感に高揚したものだった。

福永俊介アタヤンが月曜深夜00:00-00:50だったため、この放送が終わった後で、チューニングを変えたときに、ふと耳にしたのが月曜深夜01:00からの伊集院光 深夜の馬鹿力だった。

深夜の馬鹿力(HBC)の思い出

おそらく初めて番組を聞いたときは、相田みつをの「にんげんだもの」をもじった「だめにんげんだもの」のコーナーをやっていた頃だったと思う。wikipediaによれば1999年のコーナーだったらしいので、当時中学2年生だった。

それからというもの、月曜深夜1:00からの深夜の馬鹿力は今でも私の楽しみの一つになっている。

「北は北海道から南は沖縄まで」という自虐表現でおなじみの馬鹿力。実は北海道や沖縄など一部地域でしかネットされていないのに「北は北海道から南は沖縄まで」という全国で放送されているかのように言うネタは定番だった。当時はまだJUNKという枠ではなく、UP'sという枠だったのも懐かしい。

TBSラジオがネットされていたHBCラジオで馬鹿力を聞いているがゆえに、TBSラジオにはなかった楽しみ方があった。

時報

月曜深夜1:00から放送が始まり深夜2:00にTBSではTBS独自の時報が鳴る。これについて伊集院氏は「変な時報」と生放送らしく毎回時報をいじっていた。

HBCラジオを聞いている我々からすると、ただ「ポーン」となるだけで、変というよりもいたって普通の時報だったので、TBSラジオではいったいどんな「変な時報」が聞こえているのか?聞いてみたいという気持ちにかられていた。

演歌のCM

HBCラジオでは、馬鹿力のCMはほとんど演歌歌手の新譜ばかりだったので、なぜかHBCで馬鹿力を聞いていた北海道や青森の人々はこの演歌のサビが歌える。もっと言うと、歌だけでなくCMのフレーズも脳内に刻まれているのでソラで言えてしまう。

www.nicovideo.jp

  • RAIN(DKWalkers)
  • 赤いひまわり(美咲純子)
  • 北のさすらい(三原カズ)
  • 恋燦華(岩本公水)
  • 岬(岩本公水)
  • Close your eyes(嶋淳一)
  • あばよ(柳ジュン)
  • 夢さりぬ街(柳ジュン)

この動画にないもの言えば、いまだに脳内に脳内に刻まれているものはこのあたり。

ハッ、寝落ちしてた…と思ったらだいたいこのあたりの演歌が聞こえてくる。あるいはその逆で、演歌の間に寝落ちしてしまうということも。

カレギュウ3杯食う女

このキーワードでピンとくる人は馬鹿力の古参リスナーだろう。伊集院光プロデュース 音楽ユニット大ブレイクプロジェクトでデビューした変死体(ユニット名)の曲の歌詞で出てくる、「カレギュウ」が、一体どのようなものなのか当時の私にはわからなかった。

大学を卒業して、北海道から上京したとき、初めて松屋カレギュウに出会ったときは本当に感動した。ああ、これがあの時の「カレギュウ」なのかと。これを3杯食う女ってww、数年後にニヤニヤすることになったのである。

同様に、よく馬鹿力で話題になるチェーン店、王将や富士そばなど地方では行くことができなかったチェーン店にいい大人になってから初めて行った。東京の人にとってはなんでもないことなのかもしれないけれど、地方出身としては「あの富士そばに行けた」と本当に感動したものだ。


深夜ラジオについてあまり身近な人と話すことはないので、「ああ、懐かしい」「スパランなんてあったね」などと思い出すきっかけになれば。