じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

妊娠・出産にまつわる夫婦の宗教観の不一致

※安産祈願の儀式について疑問を呈する表現が含まれていますが、儀式やそれにまつわる施設や宗教を否定するものではありません。

京都市内の某所に安産祈願に行ってきた。

正直、嫁が安産祈願に行きたいと言い始めたとき、私は全然気持ちがのらなかった。私はもともと神仏に対しての信仰心が高いどころか、(私にとっては)よくわからない謎の儀式でお金を取るということに違和感すら覚えていた。

もちろん、我々の子どもが元気で生まれてきて欲しいという思いはある。かといって安産祈願をしたからなんだとか、しないからなんだとか、そういうものとはなんら関係ないと思っている。

一貫性のない嫁の安産祈願プラン

「安産祈願に行きたい」と嫁が言い始めたとき、嫁は祈祷をお願いする日、祈祷をお願いする場所の候補を選んでいた。

日本で一般に安産祈願と呼ばれる儀式は、「妊娠5ヶ月に入った最初の戌の日に腹帯(妊婦向けの腹巻きやコルセットのようなもの)に祈祷をしてもらい、それを妊婦が腹に巻く」というもので日本独自の風習らしい。

我々の候補日を戌の日で絞ると平日になってしまうので、私の休みの調整が必要になってくる。別に調整できないことはないのだが、「戌の日」という、これまた私にとって何の関心もない日のために仕事の調整するのは受け入れがたいという思いから、戌の日ではなく、週末の休みの日に行くことを提案したらOKが出た。

場所については「京都で安産祈願といえば、検索して一番上に出てくる」という理由から某所を選んでくれていたようだが、「アクセスが悪いから近場にしようか」という話にもなるなど、それほど日取りや場所には思い入れがない様子だった。

あまり気がのっていない私に気をつかってくれたのだとは思うが、そこまでアクセスを考慮して簡略化して良いのであれば、もう家でやろうぜ、俺が祈祷するぜ。という気持ちにならなくもない。

予定日前後15日間 追加祈祷オプションあり

申込書を書いて祈祷料を納めて、受け取った各種アイテムの中にさらに「安産祈願申込書」が入っていた。

この申込書は、なんと追加オプション料金を払うことで予定日の前後15日間も毎日祈祷をし続けてくれるというありがたいものだそうだ。関係者の方や信心深い方々には大変申し訳無いが笑ってしまった。あ、そういうのもアリなんだと。

数千円を払うことで心の安らぎが得られると思えば安いという考え方もあるのかもしれないが、なにかこうお金という次元で語られると急に安っぽくなるというか、俗物感が出るというか、この儀式は一体何なのかと余計なことを考えてしまう。

なるほどこれが宗教の不一致か

それでもなんとか気持ちを盛り上げようと「これは思い出づくりだよ」と嫁は私に話してくれていた。そうだ、かつて結婚式という儀式に疑問を持っていた私も、実際に結婚式をやってみて初めてその価値に気がついたということもあった*1。まあ、これもその一つと思えば。

受付で嫁が祈祷グッズを受け取る様子をカメラに収めようと構えると「撮影はやめてください」と止められた。特に注意書きはなかったが、どうやらこの雰囲気は祈祷が始まる前に撮影について確認しておいたほうが良いと思い、祈祷の前に神主に「撮影しても良いですか?」と訪ねると「だめです」とぶっきらぼうに一言。

思い出として写真を残すことも許されず、数千円の祈祷を受けてしょんぼりしていた。唯一の楽しみといえば、祈祷の最中に氏名・住所を祈祷の独特の抑揚で読み上げるシーンがあったので「もしやこれは、任意の文字列を祈祷の中に織り交ぜて読み上げてくれるサービスと解釈できるのでは」などと考えて一人でニヤニヤするくらいしか思いつかなかった。

帰り道に、つい先日嫁がWebの記事についてこう話していたことを思い出してしまった。

「断捨離の記事とかってなにかとスピリチュアルなこととからめて書いてあることが多いよね。捨てると心がおだやかに〜、とか、捨てられない人は精神的になんとか〜、みたいな」

そのときの嫁の話し方は、その記事そのもの、あるいは、断捨離にまつわるスピリチュアルな話を信仰している人を少しバカにしたような言い方に聞こえた。ここで私の純粋な興味からある疑問がわいてくる。よせばいいのにそれを聞いてしまった。

「ところで、昨日話していた断捨離の話と安産祈願の話って似たようなところがあると思うんだけど、どう思う?断捨離によって心が穏やかになるのと、安産祈願によって心が穏やかになるのとでは何が違うの?」

「いやいや、なんで一緒にするの。断捨離は自分自身のことで、安産祈願は神様へのお祈りでしょ?」

ああ、これが宗教の不一致というものか。ここに来てようやく気がついた。今後、この手の儀式が催されるときは、何も言わずにただただそれを儀式として受け入れようと決めた瞬間だった。この宗教感ばかりはもう「そういうもの」と考えるほかない。

ただ、もし私が突然「暗黒宇宙の大僧正様の体から分泌され、飲めば不老不死になれるとされるオッピョロヌンガをいただくためには、数千円の献金が必要なんだ」と言い始めたときは、何も言わずにそっと数千円を差し出して欲しい。

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