じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

関西弁で「かわいらしい」はきっと「小さい」という意味なんだと思う

京都に暮らし始めて1ヶ月が経った。

愛知県に生まれ、北海道で育ち、東京で就職した私ははじめて関西で暮らしている。県・道・都・府とフルコンプしたんだなとどうでもいいことを心のなかで密かに思っている。そういえばわざわざ都道府県という自治体を指す名前が違うということは地方自治体としての行政機能が違うのか?と思って改めて調べてみたりして。

と、それはさておき(こたえは、行政機能は同じ。歴史的背景で名前だけが残っているだけ)。

関西弁の「かわいらしい」が指すことばの意味についてだ。私がここ京都にやってきて一番最初にであったのは不動産屋が話す「かわいらしい」である。

東京では住めないような広くてきれいな新築の賃貸に決めた。新居はとても気に入っているのだが、家の目の前にはお墓がある。一般的にはあまり好まれない立地なのかもしれないが、私は特別気にしてはいなかった。

「まあ、別に私は気にしていないので大丈夫ですけどね?」
「まあ、そうですよね。かわいらしいお墓ですもんね」
「可愛らしいお墓…?えーっと、まあ…そうですね」

と、別に文脈的にわからなくもないのでその場の流れで相槌を打った。「かわいらしい」を脳内再生するときのイントネーションはこうだ。

■関西弁

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■標準語

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それを踏まえてもう一度会話を思い出して欲しい。

「まあ、別に私は気にしていないので大丈夫ですけどね?」
「まあ、そうですよね。かわいらしいお墓ですもんね」

この文脈では、そこまでの強い違和感はなかった。ところが、仕事であるベンダから製品の説明を受けていたときのこと、

「(前略)…、そうすればDRにはわざわざExaじゃなくても、かわいらしいOracleを用意しておけば良いという話にもできますし、…(後略)」

可愛らしいOracle!?なん…だと…?

これまでDBMSを可愛らしいと思った瞬間は一度もない。これはきっとなにか別の意味を表しているはずだ。と、ふと先日の不動産屋のことを思い出したのである。なるほど「小さい」だ。そうすると2つとも話としてしっくりくる。

関西弁は文脈的にわからなくもないけれど、実は別のニュアンスを含んでいるのではないか?と思うことがしばしばある。他の例で言えば、

「よう〜せん」これは「〜できない」という意味を指すようである。これは文脈からなんとなく判断できる。しかし、これはどうだろうか。

「よう言わんわ」

これを純粋に「言うことができない」として良いかというと、必ずしもそうではない。そのバックグラウンドには「(そんなことよく言えたね、私には)言うことができない」であったり「(そんなことは言いたくないので、私には)言うことができない」というように、その人がどう感じているのかというところが文脈によって様々であるということである。単純にできるかできないかではなく、やりたくないという意味が含まれることが多いように感じる。

もっというと「よう言わんわ」に限っては「(冗談はやめてくれよ)」を指すこともあり、もはやこうなってくると「言うことができない」の意味はどこへいったのか、という状態にさえなる。

おそらく関西の生活が長くなれば自然とこの違和感もなくなっていくのだと思うので、違和感を感じている今のうちに興味深い発見は記録しておこうと思う。