じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

コード進行を教えてくれた雑誌「月刊歌謡曲(2013年廃刊)」は私にとって偉大な存在である。

私がJ-POPに関心を持ち始めて毎月購読していた雑誌、月刊歌謡曲は私の人生を構成する要素の大きな部分を担っている。どれもこれも表紙が懐かしい。本がボロボロになるほど使った。

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さて、ピアノというとお稽古ごとの一つで習わないと弾くことができるようにならないというイメージがあるかもしれないが、私はピアノを独学で練習してある程度は弾けるようになった。どうもピアノという響きにどこか神聖なものを感じてしまい、一般的にはなかなか手を出しにくいと考えてしまうのだと思う。


超魔界村 STAGE1

私はピアノを独学で学んできたために、ピアノ教室で幼い頃からピアノの稽古をしてきた人からすると当たり前のことを知らなかったり、実際に弾きながら指導を受けなければ学びにくい指の運び方など得られなかったものもあると考えている一方、独学であるがゆえに得られたものもあると考えている。

昔からピアノを習っていれば、と少しうらやましく思うこともあったが、ピアノを幼いころに習っていたという人に話を聞くと「好きな曲が弾けないから」「練習が大変だから」と続けられなかった話をよく聞く。個人的にはこれは目的と手段の話だと思っている。練習して稽古に臨まなければピアノの先生に怒られるので好きでもない曲を必死で練習する。ピアノを練習するための練習という作業ゲーになってしまい、やめてしまうということなのだと思う。

私は違った。私には弾きたい曲という目的があった。当時、大流行していたちびまる子ちゃんのオープニングテーマであるおどるポンポコリンがどうしても両手で弾けるようになりたかった。当時はまだ幼稚園児だったと思う。姉は稽古としてピアノを習っていたので、自宅にアップライトピアノがあったことが私の独学を動機付けたことは間違いないが、なんとしてもおどるポンポコリンが両手で弾きたいという強い思いから両手でピアノを弾くことに挑戦したかった。両手で弾けるということが自分の中でかっこいいと思っていた。そんな私に、かつて幼稚園の先生を志していてピアノに多少の造詣があった母は左手の指使いを教えてくれた。

ファ、ファ、ファ、ファ
レ、レ、レ、レ
シ♭、シ♭、シ♭、シ♭
ド、ド、ド、ド
全部4回ずつ押せばいいのよ。

独学といいつつ母親から習っているのではないかというツッコミが聞こえてきそうなので、念のため整理しておくと、私が人から習ったことはこれを含めて3つだけある。独学と呼んでいるのは、ピアノ教室なるものに通っていないという意味であることを宣言しておく。私が人から習ったことは以下の3つである。

①おどるポンポコリンの左手指一本で弾ける伴奏(かつてピアノを習っていた母親)
②楽譜の読み方(小・中学校の音楽の授業)
ヘ音記号(ピアノを習っている姉)

誰でも彼でも みんーなー
おーどりをおどって いるーよー

このフレーズを右手でメロディを弾きながら左手は人差し指一本で4回ずつ押せばいい。①を習ったものの、幼稚園児には難しかった。右手だけでメロディを弾くことはできたが、左手がつられてしまう。練習すればできるようになるはずと信じて、おどるポンポコリンを必死で練習した。今思えば、このとき初めて両手で弾けるようになったときの世界が開かれたような感覚こそが、和音が持つの心地良さだったのだと思う。

それから小学校に入ってから授業で②を学び③を姉から教えてもらって、楽譜さえあればどの鍵盤をどのタイミングで弾けば良いいのかがわかるようになった。つまり、(かかる時間は曲によれど)練習さえすればいつか必ず弾けるようになるはずであるという思いに達した。ここからは弾きたい曲があれば楽譜を手に入れて練習するという楽しさを覚えて没頭した。

となりのトトロドラゴンボールまじかる☆タルるートくんきんぎょ注意報!。当時放送されていたアニメの曲をピアノで練習した。この頃から少しずつJ-POPについて興味を持ち始めた。当時はいまほどJ-POPという言葉も使われていなかったように思うし、正確に言えば興味を持ち始めたというよりも、小学校低学年にとってのJ-POPなど自分で選び取ったものではなく、親の車でよく流れている曲という程度に過ぎなかった。中でもピアノによる伴奏がメインとなっているようなものを練習していた。次第に兄や姉がCDを買うようになり、その影響を強く受けていった。少年時代(井上陽水)、ロード(THE 虎舞竜)、ぼくたちの失敗(森田童子)、I LOVE YOU(尾崎豊)、このまま君だけを奪い去りたいDEEN)。

小学校、中学校とJ-POPにさらに興味を持ち始めた私は、月刊誌「月刊 歌謡曲*1」を毎月買うようになっていた。月刊歌謡曲は毎月300曲程度のJ-POPの歌詞とコード進行が掲載された月刊誌で、最新のJ-POPから懐メロと呼ばれる類の昔の曲までぎっしりつめ込まれていた。そのうち数曲は弾き語り用のピアノスコアが用意されていたのも嬉しかった。今思い返すと中二の心をくすぐる洋楽の歌詞が英語の上にカタカナが表記されていたりと、今ではなかなか見かけないコンテンツもあった。例えば、当時一世を風靡していた野島伸司脚本のドラマ「未成年*2」の挿入歌として使われていたカーペンターズの「青春の輝き(I Need To Be In Love)」はこんな感じだったと思う。

アイノゥ アイニートゥビインラァーヴ
I know I need to be in love
アイノゥ アイヴ ウェイスティ トゥ マァッチ タァイム
I know I've wasted too much time 

他はTop of the Worldや、Kinki Kidsが出ていたドラマ「若葉のころ」ではビージーズの「若葉のころ(First of May)」が挿入歌として使われていて同様にカタカナ表記の歌詞があったのを覚えている。半角カタカナをあえて使っているのは、月刊歌謡曲がそうであったことの再現である。

もともとはJ-POPが歌えるようになりたいので歌詞が見たいという思いで雑誌を買っていたが、歌詞の上に必ずアルファベットが書かれていることが気になり始めていた。

C / G / Am / Em / F / C / F / G

これは一体なんだろう。気になって調べ始めると月刊歌謡曲のなかにコード表というページがあることに気づく。コード表は縦軸にアルファベットが順に並んでいて、横軸にはそれらのアルファベットを装飾するようなm, m7, sus4, dimなどの文字が並んでいた。これが私のコードとの最初の出会いだった。縦軸と横軸をたどると AmやEm、Gsus4など組み合わせが歌詞の上のアルファベットと一致することに気づき、さらにはそこに描かれた鍵盤を指し示した手の通りに左で抑え、右手でメロディを弾くとそれはメロディにピッタリの伴奏になっていた。

衝撃的だった。これが…伴奏…!私の中に音楽という空間が定義されていたとしたら、その空間は一気に無限大に拡張され、すべてのあらゆるものが表現できるのではないかとすら感じた。

月刊歌謡曲の歌詞の上に書かれているコードにしたがって弾いた。たくさん弾いた。たくさん弾いているうちに少しずつコードというものの規則性を見つけ始めていた。これまで、楽譜の中に書かれた音符を1:1で対応させて鍵盤を弾いてきたと同様に、書かれてるコードとコード表を照らしあわせて弾くべき鍵盤を調べて弾いていた。

これまでドレミファソラシドと読んできたそれとC, D, E, F, G, A, Bを弾く時の最も低い音は一致している。Cm, Dm, Em, Fm, Gm, Am, Bm…なるほどmがつくと3つおさえるうちの真ん中の音は半音下がるのか。なんだか悲しい響きだ。7がつくと少し不安な気持ちになるな…なるほどなるほど。サビに行く前にsus4が登場することが多い気がする。これがサビへに向かって聞く人の気持ちを惹き立てるのか。終盤でさらに曲を盛り上がって感じるのは半音上がっているからなのか。この曲とこの曲はコードが似ている。この曲とこの曲は全く同じだ。曲の特徴にも気づき始めていた。

これまで経験則的に感じていた点と点のすべてがつながって線になっていく。おどるポンポコリンで弾いていたあの左手の指1本で弾いていたのはいわゆる根音(ルート)だ。ベースラインをおさえていたことも後にわかった。

F / Dm
誰でも彼でも / みんーなー
B♭ / C
おーどりをおどって / いるーよー

Mr.Childrenスピッツの流行していたころ、アコースティックギターを始めた。花 -Mémento-Mori-のイントロから始まるアコースティックギターがかっこよかった。もちろん月刊歌謡曲のコード表でコードの抑え方を学んだ。イントロはDm AmではなくDm7 Am7で悲しげで切なさが増す。コードに対する経験値がより高まっていった。sus4が持つ不安定さからメジャーに戻るときの安心感など、理論ではなく経験や感覚で身に着けていった。アコースティックギターを一生懸命練習してきた人ならGsus4からGに落ち着く心地よさ、俺かっこいいと酔うこの感じはきっと伝わるはず。そして7thや onの渋さにハマっていく。

今宵の月のように(エレファントカシマシ
G GM7 on F# /  G7  E7  
夕暮れ過ぎて / きらめく街の明かりは
Am Am7onG# / Am7onG D7
悲しい色に / 染まって揺れた

19やゆずによるアコースティックギターが流行したころにこれまで使ったことがなかったカポタストを使い始めた。コードの概念を身につけた私にとってはもはや「ああ、なるほど3フレット分音が高くなるから、1つと半分低いコードを弾くことで指を簡単にするのね、E♭は6フレットを押さえるのは指が痛いからCになるのはありがたい。賢いなあ!なるほど」と語れるまでになっていた。アルペジオというギターの奏法を知り、さらに伴奏の仕方に幅が生まれ、その奏法は当然ピアノにも応用が効き、どんどんアレンジの幅が広がっていった。

もし月刊歌謡曲に出会っていなかったら、コードという概念に関心を持つことはなく、きっと楽譜にかかれた音符を1:1で拾い上げて忠実に再現するというせまい空間での音楽に閉じていたと思う。私は月刊歌謡曲に出会い、コード進行を知り、音楽の仕組みを知り、なんとなく感じていた楽しい曲、悲しい曲、曲の盛り上がりはなぜそう感じさせるのか、逆に感じさせるにはどんな構成を取ればよいのかということもなんとなくわかってきた。それと同時に、コード進行の構成が整っていればどうアレンジしても良いという自由さにも気づいた。音符が1つ1つ決まっていて、それを忠実に弾くだけが音楽ではないという大海原に飛び出すことができた。

クラシックピアノをしっかりと習っていた人は、音符を拾い上げて忠実に弾くことには長けているが、逆に楽譜がないと一切弾けないという人もいるらしい。考えるな、感じろではないが聞いてみて、弾いてみて、感じたところからこれはいったい何だ?と私は体で吸い込むように音楽を取り込んできた。今ではメロディー歌えれば伴奏ができるので楽譜がなくてもそれなりに弾けるようになった。月刊歌謡曲は私の音楽を無限大に拡張した。

すでに2013年に廃刊してしまったということで寂しい気持ちだが、月刊歌謡曲の私の中での存在意義はとても大きい。とても感謝している。

*1:のちに略称であるゲッカヨという雑誌になり、最終的には34年の歴史に幕を閉じた。ゲッカヨとは? | ゲッカヨ・オンライン~月刊歌謡曲●電子版

*2:いまではテレビで放送できないであろうシーンも多く、小学生か中学生時分には刺激的な内容だった