じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

手抜きが料理を上達させる 「単位ひとくちあたりの塩分量を意識した目分量料理法」

料理が好き。クリエイティブな活動で脳が刺激される気がする。結局のところ、自分が食べたいときに、食べたいものを、食べたい瞬間の気持ちに合わせて作るものよりもうまいものはない。そう信じてやまない。

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誰に習ったわけでもないが、大学時代に一人暮らしを始めてからやってきた料理は、結婚して嫁と暮らすようになった今も私の担当であるといって良いほどほぼ毎日料理をしている。料理を毎日していく中で、自分のスキルの上達も感じられるし、新しいレシピに挑戦するという楽しさもある。自分が独学で料理スキルを上げていく上で意識したことを紹介したい。

手抜きで工程の意味を理解する

  • 「ここで肉に下味をつけておきます」
  • 「きつね色になるまで揚げます」
  • 「肉と野菜を炒めてから、水を入れて15分煮込みます」
  • 「包丁のウラで肉をたたきます」
  • 「あくをとります」
  • 「皮をむきます」
  • 「出汁を加えます」

料理を紹介するテレビや本では、料理の工程の説明がメインなっていて、「なぜそうするのか」に答えていないケースが多い。それは「おいしくなるから」というのが答えではあるが、そこを知りたいわけではない。「なぜおいしくなるのか」を知りたいのである。

オライリーから出ているエンジニア向けの料理本で、料理をサイエンスの視点で書かれていてなかなかおもしろい。まわりで料理好きなエンジニアがいたら絶対に喜ばれるのでプレゼントしてあげよう。本で紹介されている「メイラード反応」は意識すると劇的に料理の味が向上するのでぜひおさえておきたい。

Cooking for Geeks 第2版 ―料理の科学と実践レシピ (Make: Japan Books)

Cooking for Geeks 第2版 ―料理の科学と実践レシピ (Make: Japan Books)

さて、本の話はここまでにして、結局のところ料理は「味」なので、上達するには「自分で舌」で感じ取って経験し、フィードバックを繰り返すしかないのである。

そこで、料理を上達させるために、それぞれの工程をあえてすっ飛ばすということに挑戦して欲しい。

「あく?とらなくていいんじゃん?」「皮むかなくても食べられるでしょ?」「どうせ水いれて煮込むなら最初に炒める意味なくない?」「なんで肉たたくの?面倒だからいいでしょ」「下味ってなに。あとから味つけるんだからいいや」「出汁って入れなきゃだめなの?」

自分がもしかしたら必要じゃないのではないか、と疑問に思う工程があったら、勇気を持ってすっ飛ばして欲しい。

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いわゆる対照実験である。この工程は本当に必須なのか?と疑問視して、手抜きに挑戦してみて欲しい。飛ばしたものと飛ばさないもので、どのように変化するのか。その変化は自分の舌で感じ取れるか、感じ取ったとして許容できるか、ここを考えることで各工程の本当の意味を自分の舌で感じ取ることができる。工程の意味を知らずして、料理のアレンジなどできるわけがないのである。

料理の巧拙を決めるのは「塩分量」

嫁がWebでレシピを見ながらガパオライスを作ってくれたが、しょっぱ過ぎたのでほんの少量のガパオですべてのご飯をたいらげることに。しょっぱくなってしまった原因としての嫁の振り返りはこうだ。

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「おそらくレシピの記述が間違えている。大さじではなく小さじだったのでは。ナンプラー大さじ2杯とかいてあったが2杯も入れたらもともと70gしか入っていないナンプラーのビンの半分を入れることになった。ガパオライス2人前を作るのにビンの半分を使うとは考えにくい」

ナンプラーの密度がしょうゆと同等と仮定すると、しょうゆの大さじ1杯は18g*1なので、36g入れることになる。たしかに嫁の言った通り、ビンの半分を入れることになったようである。ただ、ここで問題なのは、ナンプラー大さじ1杯が料理全体に対してどの程度の塩分量になるのかを想像していないことである。この誤りは、レシピのせいではあるものの、これまでずっと目分量を信じて料理をしてきた私からすると、起こり得ない間違いなのである。

単位ひとくちあたりの塩分量を意識した目分量法

もう一度宣言しておくが、誰に習ったわけでもなく、完全にオリジナルの思想なので正しいかどうかは定かではないが、これまで鍛えてきた自分の目分量法を言語化するとこうなる。

おそらく味付けの難しさは、作る量にしたがうと言って良い。鍋で作る家族5人分の豚汁に味をつけるのと、寸胴作る50人分の豚汁に味付けをするのでは、50人分の豚汁に味付けするほうが難しいだろう。なぜなら「調理誤差」が大きいからである。

レシピのうち食材に関しては原則として、5人分作るのであれば1人分を5倍すれば良いが、こと調味料に関しては、実際には調理器具のサイズや火力まで線形に5倍になるわけではないので必ず誤差が生じる。これを私は「調理誤差」と呼んでいる。つまり、家族5人分の調味料の10倍の量で味付けをすれば同じ豚汁が50人分できるわけではないことを意味している。実際には、5人分の味付けのときには十分小さくて無視することができた蒸発して減る水分量や、食材そのものから出る水分量が違うこともあるのである程度のチューニングが必要になるのである。

ここで伝えたいのは豚汁50人分の作り方ではなく50人分のように「作る量が多いから味付けが難しい」ということである。逆に言うと、作る量さえ少なければ、誤差も少なく、自分の経験則から味が想像しやすいため、味付けしやすいのである。

さて、目の前にひとくちで口に収まるほどの豆腐が置かれ、これにしょうゆで味付けをしようというときに、人それぞれ好みはあれど、どの程度しょうゆをかければ良いのかがわからないという人はいないだろう。自分の中でどれくらいしょうゆをたらすとちょうどよいのかは経験則的に把握しているはずである。すべてはこれを基準に考えることにする。つまり、ひとくちで口に入る料理の量に対してしょうゆ(塩分)がどの程度含まれるべきなのかを基準にするのである。これが私が考えた「単位ひとくちあたりの塩分量を意識した目分量料理法」である。

フライパンで4人前の炒飯を作るときはどうだろうか。味付けで塩をふるときにどれくらいの量をふるべきなのか。それは「単位ひとくちあたりの塩分量を意識した目分量料理法」によって、スプーンやレンゲでひとすくいして口にふくむ量に対して、塩をどの程度ふるとちょうどよいのかを考えれば良い。

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(フライパンをモデル化したつもり)

4人分を4等分して、1人前が何口分になるのかを見積もる。もちろんもとの食材の量によって1人前の量は変化するが、人が食事をするときに口の中に含むひとくちはそこまで大きくは変わらないと考える。スプーンやレンゲひとさじにどの程度の塩がかかっていればよいのかを考えて塩を振る。もちろん、言うまでもないが「かけすぎると取り返しがつかない」ということを留意した上で、慣れないうちは味見をしながら慎重に味をつけた方が良い。

はじめは難しいかもしれないが、これを意識して料理をしなければ「塩分量に対する味の想像力」が養われないのでいつまでたっても目分量で料理ができない。失敗することもあるかもしれないが、常に単位ひとくちあたりの塩分量を意識しておけば、少しずつ自分の中にモノサシが形成され、目分量の精度も上がっていくことは間違いない。

「単位ひとくちあたりの塩分量を意識した目分量料理法」は応用できる範囲が非常に広い。ハンバーグに下味をつける、餃子のあんに下味をつけるというときも同じ発想で良い。ハンバーグを4等分すると1つのハンバーグは何口分になるのかを考えれば良い。餃子のあんに味をつけるときは、餃子1つ分を一口と考えればどれくらいの塩分量で味付けすればよいのかが想像できるだろう。

手抜きが料理を上達させる「単位ひとくちあたりの塩分量を意識した目分量料理法」おためしあれ。