なぜふるさと納税の仕組みが成立するのか 未だにわからず食指が動かない
嫁から受けたふるさと納税に関する説明
まだ嫁が会社を辞める前の話。ふるさと納税をしたいと言うので、自分自身できちんと仕組みを理解した上で説明して欲しいという話をした。しばらくして嫁からは以下のような説明を受けた。
・思いのある自治体に寄付する
・寄付金の額と所得税率に応じた所得税と住民税が軽減される
・結果として実質2,000円の負担で自治体から特産物などのお礼の品がもらえる
なるほど。単純に寄付金による税の控除に対して「ふるさと納税」というわかり易いネーミングをしただけか。寄付のお礼としてたまたま自治体が何かくれるということね。
私のパーソナリティで言えば、この手の「理解して利用すればお得」というような仕組みについては、積極的に取り入れようとするたちであるという自覚がある。しかし、このふるさと納税についていえば、仕組みは理解したもののなんとなくもやもやとした思いがあった。
実質2,000円という響き
私は嫁の過去のお金の使い方についてよく知っている。まだ結婚する前の話ではあるが、1年以上も通っていないジムにお金を払い続けたり、某携帯キャリアの「実質0円」にのせられてスマートフォンに加えてiPadまで買わされたりしていたこともあり、嫁が説明する「実質2,000円」の響きに違和感を覚えていた。
そんな嫁のことなので、特産品がきたと大喜びして送られてきた肉や魚などを「実質2,000円でこんなに楽しめるんだよ」と楽しむところまでは良いものの、その喜びを終えた頃には後続の作業が煩わしくなって、ただ豪勢に寄付金を自治体に振る舞っただけということになりかねない。もちろん、寄付すること自体は悪いことではない。むしろ、思いのある自治体なのであれば積極的に応援し、寄付したほうが良い。ただ、受けられる控除はしっかりと受けてこそ、自治体も我々も得をして、互いにハッピーになるのが寄附の理想的な姿だと思っている。
彼女がその後、きちんと税金の控除受けたのかどうかはわからないが、これだけ幅広い人々にふるさと納税というキャッチーな言葉を打ち出して流行をつくり、金のにおいがぷんぷんするこの仕組みを本当にみんなうまく使えているのだろうかといささか疑問に思う。
これは私の勝手な想像だが、結局、寄付による控除の効果が大きい所得税率が高く、賢い高所得者だけがうまくこの仕組みに乗り、美味しいところを摘み取っているだけなのではないかと考えてしまう。我々は流行に踊らされるだけ踊らされて、ふるさと納税ビジネスに巻き込まれてはいないだろうか。ふるさと納税による返礼品をとりまとめたWebサービスは、なるほどうまいビジネスを作ったものだと感心する反面、狂気じみたものすら感じる。
今まさに住んでいる自治体のサービスに問題は出ないのか
嫁から説明を受けたときに感じていたもう1つの疑問は、今まさに住んでいる自治体に対して支払われるべき住民税による税収が確保されず、自治体のサービスに支障をきたすことはないのかということである。思いのある自治体を応援するあまり、今住んでいる自治体のサービスが立ち行かなくなるという問題は起こり得ないのだろうか。疑問に思っていた。
これは2017年2月2日の最近のNHKのニュースである。
案の定、東京23区では前年度の5倍以上の130億円の税収が減る見通しであるということが発表された。特に減少額が大きかった世田谷区では16.5億円減ったとのこと。次年度はさらに税収が減ることが見込まれており、区の一般会計の約1%にあたる30億円減少するとされているとある。
なんだ。たかだか1%か。1%減ったくらいで世田谷区のサービスが立ち行かなくなることなどないだろう、直感的にそのような感想をもった。世田谷区長はこう話している。
世田谷区の保坂区長は「30億円といえば学校ひとつ分に当たり、さらに増えていけば持続可能な公共サービスに支障を来すのは明らかだ。限度を明らかに超えているのではないか」と危機感をあらわにしました。
東京23区だけ完全に割を食うこの仕組みに対して、23区内の区長は完全に憤りをあらわにしている。
正直、この1%が大きいのか小さいのかはよくわからない。ただ、少なくとも財源が減るということは何かしらのサービスが減ることを意味するということは住民として認識しておく必要があるとは思う。ふるさと納税は自分の住む自治体のサービスを下げてでも、他の自治体に寄付したいという意思表示であるといっても良い。
もちろん、この世田谷区が叫ぶこの財源1%なんて実は大した問題じゃないんだよ。むしろ地方は地方で地域創生に知恵を出して互いに競争し、市場原理の中で財源を奪い合うほうが良いのだ。という考え方もあるのかもしれない。ただ個人的には、それは行政を介してまでやらなければ成立しないものなのかと疑問に思う。
自分が感じていたもやもやの正体
結局何が言いたかったのかというと、やれふるさと納税だ、なんだかんだという話以前に、自分が好きな製品を買ったり、好きなアーティストのライブに行ったり、自分の好きなラーメン屋に足しげくかよったり、自分が好きなものに、正当な対価を支払うことこそが応援であるということをもう一度改めて考えたい。ということである。
税金の使い道がどうだこうだと言うことも大切かもしれないけれど、あなたはあなたがが知っている価値のあるものにその対価を払っているのかい?ということを考えて欲しい。
実質2,000円だからノドグロを食べよう。実質2,000円だから美味しい牛肉を食べよう。実質2,000円だから美味しいお米を食べよう。
これも一つの応援の形なのかもしれない。でも、この値段ありきの発想は、逆に言えば「実質2,000円程度の価値しかない」という安売りをしなければ世の中に受け入れられないということも意味していて、自分にはせっかくの地方の特産品を叩き売りしているように見えてしまうのである。このふるさと納税の仕組みをお試し価格という形で、地方がプロモーションとして活用出来ていて、返礼品が人気なだけでなく、売上が伸びましたという話しにつながっていればそれはけっこうなことだが、この仕組みで本当にプロモーションにつながるのか私には想像ができない。
まずは、お金の使い方として、自分だけがよく知っているこのサービスのここが素晴らしいというところに存分にお金を払い、クソみたいなサービスにはびた一文も払わない。この姿勢を貫くところから始めるべきなのではないか、そう私は思っている。