じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

31歳SIerからユーザ企業の情報システム部門への転職(13)

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上司に退職の意志を伝え、上司の上司である部長、そしてさらにその上の上まで話が通り、退職の承諾が得られた。法律の世界だけで言えば、退職届を提示してから2週間でその効力を発揮するとは言うものの、義理や人情というものもある。しっかりと関係者に意思を伝えた上で退職の承諾が得られてから、退職届を出した。

■騒然とする現場

上司から現場のメンバに正式に9月末で退職することが発表された。

 

「えっ!?」

 

誰もが驚いていた。しかし、その驚きは「どうしてやめるのか」という私への関心よりも「開いた穴をどう埋めるのか」「どうお客様に説明するのか」「今後の体制はどうするのか」というお客様への関心の方が強かったように思う。

自分で言うのもなんだが、当時の自分のポジションは自分が初めて作り上げた新しい領域であり、約1年半かけて作り上げてきた仕事であるため、穴が開くとそれを塞ぐためにはそれなりのパワーが必要であることは目に見えていた。もちろん、この手の心配ごとを抱えているのは実は本人だけで、実際には本人が思っているほど重大なことではないということはよくある。現場ではいとも簡単に開いた穴を埋めてしまうこともよく知っている。ともすれば、もうすでに穴があったことすらみなに忘れられてしまうほど、あっという間に埋まったかもしれない。

しかし、不謹慎であることを承知であえて正直に言うと、自分がいなくなることで起こる現場の混乱は私にとっては快感だった。

これは、自己顕示欲を満たす格好のできごとであった。仕事をしていく中で、自分は現場に必要とされているんだという存在意義を確認することは、モチベーションにつながるということが知られているが、なかなかその機会は多いわけではない。私が去ることで現場が困れば困るほど、私の心は満たされた。もちろん、現場に対して恨みがあるわけではない。どうにかなってしまえば良いということではない。現場が困るようなことがあってはならないと、お客様に迷惑をかけてはならないと引き継ぎに関しては最大限の協力をしていた。でも、心のどこかで「自分がいなくなったら困るでしょ」そう思っていた。最低だ。でも、これが人間なのだとも思う。

私は、跡を濁さぬよう最大限の引継ぎと会社の事務手続きを終え、正式に会社を退職した。

■年休消化について
退職する前に、たまった年休を消化することは労働者としての権利である。年休をとらせないような会社に対して労基は黙っていないというトーンの解説はいくらかある。本気で取りに行けば1ヶ月近い有給休暇が手に入るのだろう。しかし、権利は権利として主張することもできたのかもしれないが、私はどちらかというと確実、かつ、きれいに辞めることを最優先したので過度な年休消化求めなかった。

上司からは「年休の消化はどうするのか?(あまり無理を言わないでね)」と確認されたので「本音を言えば、この日を最終出社日として年休を消化したいが、引き継ぎの都合もあるのでこの日までは出社しようと思う」というような妥協案を事前に用意して話を進めたので、全部とまではいかなかったが幾ばくか年休を消化するようなスケジュールを認めてもらえた。

 

■転職という響き
転職という言葉は、面接を受けて内定をもらうということばかりを想像してしまうが、新卒のときの就職活動と違い、入るだけではなく、出ることも考えなければならないことを忘れてはならない。

もっと言うと、私の場合は次の会社に入社するまで無職の1ヶ月を作ったこともあり、いざ会社を辞めてからは、健康保険はどうするのか、年金はどうするのか、住民税の支払いはどうするのかといった話もあった。さらに同じタイミングで嫁も会社を辞めているので、嫁の分の保険・年金・住民税はどうするのか、嫁は税扶養に入れるのか、失業給付金をもらうことはできるのか、などなどお金のことについて調べなければならないことは非常に多い。

せっかくなので退職してから次の会社に入るまでに無職期間を作ったときの事務的なことも記録しておきたいところだが、タイトルから幾分それた内容になりそうなのでひとまずこのシリーズはここで終わりにする。

参考になるかどうかはわからないが、転職の一例として誰かのお役に立てば。