じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

31歳SIerからユーザ企業の情報システム部門への転職(3)

#2016/12/04 追記
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#追記ここまで

 

最初のプロジェクトでは、一作業者として、指示通りにこなすのが精一杯だった。要求開発などどこ吹く風。自分のこともままならない人間が、何を顧客に対して価値を提供できるというのかという状態だった。

■3年目で「描いた姿を実現するおもしろさ」を知る

次のプロジェクトでは1年入社が上の先輩と要件定義から参画することになった。これまでは一作業者だったが、現行システムから次期システムに向けて思いを込める機会を得た。ここで初めて脳をフル回転させ、自分が思うあるべき姿を描いた。描いた姿を多くの人を巻き込んで作り上げる面白さ、壁にぶち当たったときの解決策を都度考えて、乗り越えていく快感を覚えた。結果、プロジェクトは大成功を収めた。サービス開始後は、先輩がプロジェクトから抜け、インフラチームのリーダーとしてシステム運用フェーズに入った。私はこの経験を経てすっかり自信をつけていた。

これもあとから知ったことではあるが、この案件は規模は大きいものの会社としては失敗するリスクが少ないと判断されていたようで、比較的若いメンバで構成されていた。とはいえ、年次の浅いうちから大規模なシステムのインフラ設計・構築を任せてもらえたのは自分の中ではとても良い経験になった。

■何も起こらない安定システム

インフラチームのリーダーとしてシステム運用に携わる日々。インフラは何か起こると怒られるが、何も起こらなくても褒めてもらえない。何も起こらないのが当たり前と考えられている。実際、インフラの作りが良かった(自画自賛)ので、本当に何も起こらなかった。

その結果、退屈になってしまった。

何も起こらない安定したシステムで、自分がここにいる存在価値はいったいなんなのか。少しずつ疑問に思い始めていた。育成的な観点でいうと、設計や構築ばかりでなくシステム運用のことも知らなければ、良い設計はできないという思想が上司にはあった。今の私もそう思う。しかし、その頃の私は我慢できずに相談した。「要員が過剰なので、外に出して欲しい」そうお願いし続けた。

そんなあるとき、上司から話があった。

「少し背伸びした仕事になるかもしれない。なんとかフォローする体制はあるからやってみるか」
「もちろん、引き受けます」

 

4年目の終わりのことだった。

 

31歳SIerからユーザ企業の情報システム部門への転職(4)に続く

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