じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

伊集院光がずっと唱え続けているドーピングOKなドーピングフリー級の考え方

ロシアのドーピング問題について、伊集院光とらじおと*1で伊集院さんが話しているのを聞いて、いつかの馬鹿力での伊集院さんが主張していたドーピングの考え方が納得感があったことを急に思い出した。

確からしい文献がないのでなんとも言えないが、少なくとも「伊集院 ドーピング」で出てくる情報を調べてみると、1996年06月24日のUP's、2004年08月30日の馬鹿力、2012年08月06日の馬鹿力で言及していることがわかる。実にもう20年も前から言い続けていることになる。

2004年はアテネオリンピックハンマー投げアヌシュ選手が金メダルを手にしようとした瞬間にドーピングが発覚し、2位の室伏が繰り上げで金メダルを獲得したという事件にについてふれている。

たびたびこの手のドーピング事件が起こるたびに折にふれて話してきた伊集院さんの主張としては、ドーピングフリー級とノードーピング級の2つを公式に用意し、どちらで優勝しても同じ金メダルを授与することでドーピングに対する理解がより深まるというものだ。

どちらも同じ金メダルなのであればドーピングフリー級で体に負荷をかけ、時には死に至ることすらあるというリスクを負って金メダルをとるよりも、ノードーピング級で金メダルをとるほうが褒め称えられるはずだ。

それでもドーピングフリー級で活躍したいという選手がいるのであれば、これまで人体への影響が強いドーピングを見つからないようにする技術を磨いてきたパワーを、体に安全な新薬の開発に注ぐことで体を壊さないドーピングを考えることになり、人間にとって安全な薬の開発が進むということにもつながるという主張である。もちろん、これまでの不正なドーピングも人体に負荷をかけたくてかけてきたわけではないのだとは思うが、人体への影響を減らす創意工夫も新薬の開発という部分まで含めて認められればドーピングフリー級もまた報われるのである。

ただし、この話には「検査によってドーピングが確実に検知できる」という前提が必要なのでそう簡単にはうまくいかない。バレなきゃOKという世界がある以上はどうやってもこの問題は回避できないのは明らかだが、少し考え方を変えるだけで解決につながるかもしれないというこのアイディアは気に入っている。