じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

ショーシャンクの空に - 良くも悪くも人は環境に順応する -

 

 

ショーシャンクの空にを見た。もう5回くらいは見たと思う。ショーシャンク刑務所の塀の中と外を自分に重ねてみると、それはやはり会社の中と外ということになるのかな。となんとなく思いながら見ている。

以下、ネタバレを含むのでいわゆる閲覧注意。

映画の中で、人生の大半をすごしたショーシャンク刑務所を高齢になってから仮出所したブルックスは社会に順応できずに自分の命を絶つ。塀の中と外では世界が大きく変わるには十分すぎる時間が経っていた。数十年という時間は大きい。塀の中には仲間がいる。自分がやってきた仕事がある。できれば刑務所に戻りたいと。刑務所に入れられるような犯罪の是非についてはさておき、刑務所という閉鎖された空間に数十年間もいると人はそこに最適化される。外に放り出されればこれまでの人間関係はもちろん、知識やスキルも活かされない。信用もない。ゼロだ。

さて、今の会社に入社して3年が経った。これが10年、20年と月日が経てば自ずと順応していく。会社にとってはそれが求められ、会社に順応することこそが会社のエンジンとも言える。破壊的なイノベーションが重要であることも会社は知らないわけではないが、大半は順応することを求められるだろう。もちろん、そのための教育も受ける。会社が刑務所であるというつもりはないけれど、会社の中と外というまったく別の時間が流れることは忘れてはいけない。

これは主人公アンディの友人で調達屋と呼ばれていたレッドの言葉だ。ブルックスが仮釈放が決まったあと、外にでることの恐怖からナイフを持って暴れたことに対して仲間にこう言った。

50年もムショ暮らしだ。ここしか知らない。ここでなら彼は有名人だが外では違う。ただの老いた元服役囚だ。白い目で見られる。分かるか?あの塀を見ろよ。最初は憎み、しだいに慣れ、長い月日の間に頼るようになる。

10年、20年経ってから会社の外に放り出された時、ブルックスと同じことにならないだろうか。この映画を見るたびにブルックスに感情移入してしまう。

この映画は多くの人に支持されているようだ。多くのファンがいる。私もこの映画は好きだけれど、塀を会社と想像している私はおそらく他の人が支持している部分と違う部分で評価しているのだろうと思う。